*は訳者注です。
7/16(水) 休息日 大きな結果の長い1日 (タイラー・ハミルトン:CSC)
昨日(*第10ステージ)はCSCにとって大きな意義のある1日だった。

ヤコブ・ピールがステージのほとんどを逃げ、2人でのスプリントを最後まで戦い、見事ツールドフランスでの初勝利をものにしたのだ。 僕は本当に嬉しい。 ピールはレースの第1週の間難しい場面も2,3あったが、懸命に戦い、驚くべき成果にたどりついた。 チームでは昨夜の夕食時に小さなシャンパンで彼のステージ優勝を祝ったんだ。

ありがたいことに今日は休息日だ。 今年のツールの10ステージが終わったが、僕は10歳年をとったような気分だ。 この期間はサイクリングで人が老人のようになってしまうものなのだ。 そして僕にとっては、昨日がそういう日だった。

(*骨折した)鎖骨の痛みが今は背骨の痛みによって調和がとれていた。 2日前(*7/14、第9ステージ)背骨と胸郭に突き刺さるような痛みを感じ始めた。 ちょうど僕たちが、打撲傷は表面まできているがそのうち良くなるだろうと考えていた時だった。 が、この痛みはどんどん悪くなっていった。

火曜の朝(*7/15、第10ステージ)、痛みで起床時刻より1時間も早く目覚めてしまった。 ツールで起きなくてはいけない人の中で、こんなに早く起きている人は誰もいない。 だからこれは問題だ。 深呼吸することができなかった。 たくさん息を吸おうとすると急なけいれんが襲ってくるかのようだった。 そして脇腹から胸にかけて矢のように痛みが走るのだった。 この痛みで僕は少し神経質になった。

朝食を食べた時に、オールは少し時間をさいてどこが悪いのかを探ろうとした。 オールは、今ねじれている僕の脊柱のどこかで、おそらく神経が傷ついていて、それが原因になっているのではないかと考えていた。 今のところ体の片側の方が強いので、ものを引っ張る時に少し具合が悪かった。 オールが痛みの最も激しいところに近づく時はいつも、席から離れて事実上身をよじっていた。 さらにもう少し取り組んだのは、昨日ホテルを約1時間ほどかけて移動したことである。 人里離れたところにあるスキーステーションの本部に泊まった。

道は来た時と同じくらい曲がりくねってアップダウンがあった。 スタート地点のあるガップに着く頃には僕は車から降りる準備はできていた。 が、車は渋滞で立ち往生していた。 僕たちは耐えられるだけゆっくり進んだが、それからとうとうスタートへ向かう道の反対車線を逆走しはじめた。 僕たちには20分しか余裕がなく、テーピングをして出走サインをして協力してレースに入って行くには時間が足りなかった。 僕は出走サインをしなかった。 罰金かなにかが科せられるだろうが、その時には一番優先順位が低いように思えた。 とにかくストレスのかかる朝だった。

さらに悪いことに、ベルヌ(*リース)監督がスタート地点へショートカットをしようとした。そして第1チームカーが溝へつっこんでしまった。 メカニックのフレデリックがジープの人に車を引っ張り上げてくれるように頼まなければならなかった。 この作業はなんとかスタートに間に合ったのだった。

ひどく恐ろしさを感じながらレースをスタートし、1日中ゴールまでの残り何kmかを数えてばかりいた。 ヤコブがこんなに素晴らしい日を迎えることになって僕は嬉しい。 彼の成功は僕の悲劇からうまく気をそらしてくれた。 僕たちはマルセイユにゴールしてからパイエール峠へドライブする必要があった。

地図上では長い道には見えないが、高速でパイエール峠への道を半分来たところで、上下線共に20kmにわたって閉鎖されているというアクシデントがあった。 だから、僕たちは国道でホテルへ帰らなくてはならなかった。 どれだけの信号、ロータリーを過ぎたか数えてられないくらいだったよ。 とにかく長い1日だった。

月曜のステージ(7/14、第9ステージ)は本当に厳しかった。 僕は6月に下見をしていたのだが、知っていたからペースを上げようとしていたんだ。 イゾアール峠の後に続く2つの登りはすごく長いというわけではないけれど急なんだ。 そして気温はものすごく高かった。 僕はラルプデュエズの時と同じポジションにいることに気づいた。

アタックがかかった時に加速することができなかったが、自分のペースで走ることができた。無線で監督と連絡しながら結局先頭集団に戻ることができた。 タールが柔らかくなっていて非常に滑りやすい箇所がいくつかあり、とても危険な走りになった。 ベロキ(*ONC)が落車したのを目にして本当に残念だった。 僕が読んだものには、あの落車は、タールが溶け出していたつるつるの部分に当たって、タイヤがスリップし、乾燥した道路にひっかかって起こったものだと書かれていた。 それにスピードが相まってベロキが自転車をコントロールすることが不可能になったんだろう。 状況が悪かった。 そしてあの落車は僕たちの誰にでもあり得ることだった。

でも、アームストロングは?
彼がしたようなことは僕は見たことがない。 アームストロングは自転車競技の歴史に新たな1ページを刻んだんだ。 ジグザグの山道を走っている時、僕たちにはアームストロングが草原を突っ切ってくるのが見えた。 アームストロングがコースに突進してきた時、僕は自分が見ているアームストロングの動きが信じられなかった。

(*一度バイクを降りたので)アームストロングがスピードにのれるように、思わず背中を押そうと手を出してしまった。でも、僕が出した右手は鎖骨を骨折している方の手だったんだよね。だからあわててひっこめたよ。どんな時でも彼を助けるわけじゃない。限られた状況だったからね。でもアームストロングの心拍数200は越えてたと思うよ。

読んでくれてありがとう。